2015/01/15

暮らしの景観

 こんにちはタラスキンボンカースです。

私たちの暮らしている伊豆半島の先端には、
人の営みが築き上げた、美しい風景がたくさんあります。

美しい里山の風景も、多様な木々の森もです。

たとえばこの、美しい段々畑。

何段にも石積みで築き上げられた段々畑は、
きっと山の地形を利用してできたものなのでしょう。
 段々の中には、野菜が育っていました。

通路としての斜面がなだらかに整備されており、
2メートル弱の段々は、小さな石で積み上げられています。
近づいてみました。

石積みの天端には土が盛られているようで、
全体的に草が茂って丸みを帯びています。

何年も何年も、繰り返し刈り込まれた様子。
 アップ。

土が見えない程度まで、多様な草が密に生えていました。
それぞれの草の根や地下茎、蔓がこの石積みや表土を
がっちりと一体に固めている様子です。

これは、人の手が作った環境で、ものすごく長い年月を経て
形作られる地形です。

景観に対する見栄えや美しさを意識しているものではなく、
しかしながら、ものすごく美しい。
 一方こちらは山。

「里山」と呼ばれるような、暮らしの周囲に広がる山も、
そのほとんどが人の手により出来上がった環境です。

地域の人々は、木々を刈り炭を焼き、落ち葉を集め土を作り。
昔からその繰り返しで、山が今の状態にあるということです。

炭焼きや薪用にかられた木々は、
その切り口からたくさんの芽を吹きます。
これを『萌芽更新』といって、その木は15~20年後には
元の大きさに育つそうです。

ガスが普及した今では薪も必要でなくなり、
生活の利用のなめに木々を刈ることもなくなりました。
刈らない山は、木々が成長を続けて、暗い森になります。

そこで、健やかな森林を維持するために、
定期的に木々の伐採を行い、『萌芽更新』を促進します。

↑この山は、今『萌芽更新』の最中。
 山の際。

山と暮らしの境界線という感じでしょうか。
草の部分は人が常に刈っていることろで、
その下には家や畑があります。

つまり、山の端っこ。
ここも山の端っこ。

人が常に刈っているところは、木がなくて草が生えている。
どことなく山の境界が始まって、そこから深い山が始まる。

こういうのも、暮らしの営みが作り上げた美しい環境です。

暮らしの営みが作った環境は、健やかである必要があって、
健やかであることが、美しい景観となるのです。

それは、作為的でない美しさです。